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カール・アンダーソン(Karl "The Machinegun" Anderson、1980年1月20日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州デトロイト出身〔『週刊プロレス』2012年8月1日号、63-66頁 冒頭部分。〕。尚アンダーソンが3歳の時にノースカロライナ州アシュビルに転居している。 コール時や試合中にマシンガンを放つポーズを決める事から、ザ・マシンガン''(The Machinegun)''の異名を持つ。右肩にはタトゥーを入れている。 == 来歴 == 少年時代は野球やフットボール、バスケットボールに打ち込み、特に野球についてはリトルリーグから競技に勤しみ、進学した高校でも野球部に入り、進学した大学からは野球で奨学金をもらっている。〔『週刊プロレス』2012年8月1日号、64頁。〕。しかし、大学2年の時、レスリングスクールのコマーシャルを目にして心の奥にしまっていた「プロレスラーになりたい」という思いを抑えきれなくなり、大学を中退。なお、プロレス興味を持ったのは、5歳の時TVの中継番組で目にしたリック・フレアーに憧れたからとのこと〔『週刊プロレス』2012年8月1日号、64頁。〕。 大学中退後、MPW(メインイベント・プロ・レスリング)が主催するレスリングキャンプに参加し、WWF(現WWE)の元レフェリーのロジャー・ラフィンに指導を受け2002年5月、ノーザン・レスリング・フェデレーションのリングでデビュー。デビュー時のリングネームは「プリンス・ジャスティス」で、対戦相手は後にTNAのスター選手となるアビス〔『週刊プロレス』2012年8月1日号、65頁。〕。 以降、複数のNWA系のローカル団体に出場し、キャリアを積み重ねていた所、新日本プロレスのロス道場の関係者にスカウトされ、2006年1月よりロサンゼルスに拠点を移す。この頃、類似の経歴(米国ローカル団体からのステップアップ)でロス生活をスタートさせたプリンス・デヴィットや、米国遠征に来ていた中邑真輔、ロス道場でトレーニングしていたケンドー・カシンなどと面識をもつ。 その後、新日本の経営計画の再編を理由にロス道場が閉鎖されることが決まり、PWG、ROHを転戦。また、寝泊まりしていた道場閉鎖に伴い住まいを失ったアンダーソンは、しばらくの間ロス道場の同僚であったロッキー・ロメロの家に居候していた。2007年7月、空位となったNWA世界タッグ王座を巡る王者決定戦に参加。ジョーイ・ライアンと組み、これを制して獲得している。 ローカル団体を転戦していく内に、周囲の評価が高まりつつあったものの、自身はレスラーとしての限界を考えており、大学に通いなおす道も検討した。 そんなアンダーソンの所に、日本に渡り実績を積み重ねていたデヴィットより「試合しているVTRを送ってほしい」との連絡が入る。言われるがままに日本にVTRを送付、すると新日本プロレスより「3カ月契約で日本に来てほしい」とスカウトが入り(日本側ではプリンス・デヴィットの他後述の通り永田裕志からの推薦もあったとのこと)〔『週刊プロレス』2012年8月1日号、65頁。〕来日のチャンスを得る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・アンダーソン (プロレスラー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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